お釈迦様は本当に実在したのか?

伝記の類いがさまざまあることから、かつてはお釈迦様の実在を疑問視していた時代もありましたが、学術的調査や資料的な裏付けにより、その実在が確認されています。お釈迦様の名前は、姓はゴーダマ、名はシッダルータといいます。父のスットダーナと母のマーヤーの長男として、ヒマラヤ山の麓(ふもと)にあるルンビニー(ネパール)で生まれ、80歳で入滅(にゅうめつ)しました。

誕生した年代については諸説ありますが、日本では北伝仏教の伝承に基づいて、インドのアショーカ王マウリヤ朝の第三代王)の即位年を手がかりとして算出された前463~前383年とする説が有力となっています。1896年、ルンビニーでアショーカ王の石柱が発見され、その碑文の解読などから、同地がお釈迦様の誕生地であることが確定しました。

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切っても切れないお寺と鐘の関係

夕暮れに響く鐘の音は、日本人の原風景として心にあります。また除夜(じょや)の鐘は、大晦日の日本の風物詩といってもいいでしょう。それほど、お寺と鐘は切っても切り離せない関係にあります。鐘は「梵鐘」ともいわれ、梵はサンスクリット語の「ブラフマン」の音写で、すべてのものの本質をなすと思われる原理を指し、仏教ではもっとも尊いものに「梵」をつけることがあります。梵鐘は、インド発祥の鐘、といった意味です。

鐘には「喚鐘(かんしょう)」というのがあり、「半鐘(はんしょう)」ともよばれ、ときを知らせるために打つ鐘のことです。つまり、いまのお寺にある鐘も、そもそもはときを知らせるためのものだったのです。インドのお寺では僧侶を集めるときに、木の板を鳴らしていました。それがインドから中国へ伝わると銅製になったようです。

中国では後周時代-ごしゅうじだい-(951~960)頃から鐘がさかんにつくられるようになり、日本へは仏教の伝来とともに朝鮮経由で入ってきました。なお、国産で最古の鐘は京都の妙心寺(みょうしんじ)にあり、文武(もんむ)二年(698)につくられたものです。その他、古い梵鐘には興福寺(727)、劔神社-つるぎじんじゃ-(福岡県丹生郡、770)、西光寺-さいこうじ-(福岡県福岡市、839)のものなどがあります。

— posted by 吉金 at 12:00 pm  

お寺の境内に神社がある不思議なワケ

比叡山(ひえいざん)にあるお寺といえば延暦寺が有名ですが、一方で日吉大社(ひよしたいしゃ)もその名が知られています。ここで、「なぜ一つの場所に仏教と神道が同居しているのだろう?」と思ったことはありませんか?その謎を解くカギは、仏教がはじめて日本に伝わった欽明天皇(きんめいてんのう)七年(538年)(552年説もあり)の頃にすでにありました。

百済(くだら)の聖明王(せいめいおう)(生年不詳~554)は、新羅と高句麗の攻撃によって窮地に陥り、日本に援軍を求める意味もあって、使者を遣わして朝廷へ仏像やお経を送ります。これが、公的に仏教が伝来した最初のできごとです。その後、日本では蘇我氏-そがし-(崇仏派=仏教を受け入れる側)と物部氏-もののべし-(排仏派=仏教を受け入れない側)に分かれて争いが起こります。勝ったのは蘇我氏で、以後、日本に仏教が伝来することになりました。

ただし、崇仏派も排仏派も、仏さまを日本古来の神さま(自然と結びついた畏れ敬うべき神)とおなじような感じで捉えていたようです。仏教は、各地の土着の宗教と融合しながら、発祥の国インドからシルクロードを伝い、中央アジア、中国、朝鮮を通ってきました。

日本では、仏教伝来当初、神さまが仏さまによって救われるという論理をもち、やがて神さまは仏法を守護する存在とされ、平安時代半ば頃には仏さまと神さまはおなじだという論理が考え出されます。これを「本地垂遊説(ほんじすいじゃくせつ)」といいます。本地は「本来のあり方」を、垂述は「仮に現れた形」を意味します。本地垂遊説の内容は、「神さまは、仏さまが衆生(じゅじょう)を救済するために仮に姿を変えて現れた(権現-ごんげん-)もの」ということです。

つまり、仏さまが「主」で、神さまが「従」ということになります。これでは神さま(神道)側にとっては面白いはずがなく、室町時代頃には「反本地垂辿説」も考え出されましたが、あまり広まりませんでした。このような折衷・調和(「神仏習合-しんぶつしゅうごう-」という)が行なわれて、日本では明治維新の時代まで仏さまと神さまが同居していた、というわけです。なお、もともとその地を守護していた神さまは「鎮守(ちんじゅ)」とよばれ、延暦寺の山王権現(さんおうごんげん)、興福寺の春日明神(かすがみょうじん)、金剛峯寺の丹生明神(にうみょうじん)などが有名です。

「仏教の伝播」

インドで生まれた仏教は、ガンダーラやパミール高原を通って西域に伝わり、中国、朝鮮、日本へ伝わった(北伝ルート)。一方、南下した仏教は、セイロン(スリランカ)やパガン(ミャンマー)、シャム(タイ)などに定着(南伝ルート)。カンボジアのアンコール遺跡やジャワ(インドネシア)のボロブドゥール寺院などは、アジアを代表する仏教遺跡として名高い。

— posted by 吉金 at 11:55 am  

三重塔や五重塔は何のために建てられたのか

塔でいちばん有名なものといえば、奈良の法隆寺にある五重塔でしょうか。約31.5メートル(基檀-きだん-を除く)の高さをもつ日本最古の木造の塔で、初重の内部では、東西南北のそれぞれの面で、お釈迦さまにまつわる話が塑像-そぞう-(心木に粘土を盛りつけ、彩色した像)を用いて紹介されています。

また同じ奈良の興福寺(こうふくじ)にも五重塔がありますが、明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の際には興福寺自体が廃寺になり、塔は25円(現在の約75万円。なお、明治五年の入浴料一銭五厘をもとに換算)で売却されそうになったといいます。

それを、住民の反対によりくい止め、破壊は免れたようです。お寺や壇信徒(だんしんと)にとっては大切な塔ですが、そもそも塔が建てられる理由はどこにあるのでしょうか。塔(ストゥーパ)とは、お釈迦さまの遺骨(「舎利(しゃり)」という)を納めるためのものです。

お釈迦さまが活躍したインドでは、メロンパンのような、半円球の形をしているのが、遺骨を納める建物のそもそもの形でした。世界遺産にもなっているサーンチー(インド中部)にある塔を見るとそれがよくわかります。半円球の塔には基喧ができ、頂上には傘蓋-さんがい-(傘を幾重にもしたような形の飾り)がつけられるようになりました。

仏教がインドから中央アジアを通って中国に伝わると、塔の形も変わっていました。中国に仏教が伝わったのは漢の時代です。後漢時代(20~220)の末、相輪-そうりん-(塔の上につけられる、九重の飾りをもつ柱)がついた二重楼閣(ろうかく)が建てられたという文献も見られることから、この時代から楼閣建築を用いて塔がつくられる1つになったようです。

そして六世紀に日本に仏教が伝えられると、日本では木造の塔が建てられるようになります。塔が木を用いてつくられたのは、やはり多湿の日本の風土に最適だったからでしょう。ちなみに、層は三重塔がもっとも多く、五重塔がそれに続きます。奈良県多武峰(とうのみね)の談山神社(だんざんじんじゃ)には、世界で唯一の十三重塔(高さ17メートル)という珍しい塔もあります。

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— posted by 吉金 at 05:13 pm  

 

意外と知られていない日本のお墓のルーツ

お墓が境内にあるお寺は日本にたくさんあります。お葬式の場を提供するお寺も多く見られます。なぜお寺は、お墓やお葬式と関係が深いのでしょうか。実は、お墓は仏教が日本に伝わってくる以前はなく、それ以前は「お墓」といえば、「遺体を棄てておく場所」に過ぎなかったようです。というのも、古代の日本人は人の死を「穢れ(けがれ)」として忌み嫌っていたため、人が死ぬと死者の崇りを恐れて、山など、人が住んでいる場所から遠くへ棄てに行っていたからです。

平安時代に京都にあった葬送地として有名なのが、鳥辺野、化野、蓮台野です。窓辺野は吉田兼好の「徒然草」にも、「鳥辺野、船岡、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日なし」と表現されている地です。窓辺野から火葬の煙が立ち上らない日はなかった、ということがこの一文から読み取れます。京都市右京区の嵯峨野にある化野念仏寺は、境内の「西院の河原」に祀られている無縁仏で有名ですが、このお寺がある場所は古来より葬送の地で、はじめは風葬だったといいます。

蓮台野は船岡山の西側一帯を指し、ここも平安時代はじめは風葬の地でした。枝垂れ桜で有名な上品蓮台寺は、蓮台野墓地の墓守として建立されました。風葬とは、遺体を埋めないでさらし、自然に風化させる葬制です。シベリアやモンゴル、東アフリカなどで古くは行なわれ、日本でも沖縄などで見られました。仏教が伝来して以後、このような風習は徐々に変わっていきます。

なぜなら、仏教は人の死を獩れとして忌み嫌うことがなかったからです。仏教では、この世のものはすべて地・水・火・風の「四大」でできているとされています。人の病気は、この四大のバランスが崩れたときに起こる、と捉えられます。つまり、人は死ねばこの四大に分解され、また自然に戻っていくという考えが仏教にはあり、人の死が獩れにはならないのです。なお、庶民がお墓をつくるようになったのは室町時代頃のこととされ、墓石は江戸時代半ば頃に築かれるようになったようです。

— posted by 吉金 at 01:08 am