意外と知られていない日本のお墓のルーツ

お墓が境内にあるお寺は日本にたくさんあります。お葬式の場を提供するお寺も多く見られます。なぜお寺は、お墓やお葬式と関係が深いのでしょうか。実は、お墓は仏教が日本に伝わってくる以前はなく、それ以前は「お墓」といえば、「遺体を棄てておく場所」に過ぎなかったようです。というのも、古代の日本人は人の死を「穢れ(けがれ)」として忌み嫌っていたため、人が死ぬと死者の崇りを恐れて、山など、人が住んでいる場所から遠くへ棄てに行っていたからです。

平安時代に京都にあった葬送地として有名なのが、鳥辺野、化野、蓮台野です。窓辺野は吉田兼好の「徒然草」にも、「鳥辺野、船岡、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日なし」と表現されている地です。窓辺野から火葬の煙が立ち上らない日はなかった、ということがこの一文から読み取れます。京都市右京区の嵯峨野にある化野念仏寺は、境内の「西院の河原」に祀られている無縁仏で有名ですが、このお寺がある場所は古来より葬送の地で、はじめは風葬だったといいます。

蓮台野は船岡山の西側一帯を指し、ここも平安時代はじめは風葬の地でした。枝垂れ桜で有名な上品蓮台寺は、蓮台野墓地の墓守として建立されました。風葬とは、遺体を埋めないでさらし、自然に風化させる葬制です。シベリアやモンゴル、東アフリカなどで古くは行なわれ、日本でも沖縄などで見られました。仏教が伝来して以後、このような風習は徐々に変わっていきます。

なぜなら、仏教は人の死を獩れとして忌み嫌うことがなかったからです。仏教では、この世のものはすべて地・水・火・風の「四大」でできているとされています。人の病気は、この四大のバランスが崩れたときに起こる、と捉えられます。つまり、人は死ねばこの四大に分解され、また自然に戻っていくという考えが仏教にはあり、人の死が獩れにはならないのです。なお、庶民がお墓をつくるようになったのは室町時代頃のこととされ、墓石は江戸時代半ば頃に築かれるようになったようです。

— posted by 吉金 at 01:08 am