お寺の境内に神社がある不思議なワケ

比叡山(ひえいざん)にあるお寺といえば延暦寺が有名ですが、一方で日吉大社(ひよしたいしゃ)もその名が知られています。ここで、「なぜ一つの場所に仏教と神道が同居しているのだろう?」と思ったことはありませんか?その謎を解くカギは、仏教がはじめて日本に伝わった欽明天皇(きんめいてんのう)七年(538年)(552年説もあり)の頃にすでにありました。

百済(くだら)の聖明王(せいめいおう)(生年不詳~554)は、新羅と高句麗の攻撃によって窮地に陥り、日本に援軍を求める意味もあって、使者を遣わして朝廷へ仏像やお経を送ります。これが、公的に仏教が伝来した最初のできごとです。その後、日本では蘇我氏-そがし-(崇仏派=仏教を受け入れる側)と物部氏-もののべし-(排仏派=仏教を受け入れない側)に分かれて争いが起こります。勝ったのは蘇我氏で、以後、日本に仏教が伝来することになりました。

ただし、崇仏派も排仏派も、仏さまを日本古来の神さま(自然と結びついた畏れ敬うべき神)とおなじような感じで捉えていたようです。仏教は、各地の土着の宗教と融合しながら、発祥の国インドからシルクロードを伝い、中央アジア、中国、朝鮮を通ってきました。

日本では、仏教伝来当初、神さまが仏さまによって救われるという論理をもち、やがて神さまは仏法を守護する存在とされ、平安時代半ば頃には仏さまと神さまはおなじだという論理が考え出されます。これを「本地垂遊説(ほんじすいじゃくせつ)」といいます。本地は「本来のあり方」を、垂述は「仮に現れた形」を意味します。本地垂遊説の内容は、「神さまは、仏さまが衆生(じゅじょう)を救済するために仮に姿を変えて現れた(権現-ごんげん-)もの」ということです。

つまり、仏さまが「主」で、神さまが「従」ということになります。これでは神さま(神道)側にとっては面白いはずがなく、室町時代頃には「反本地垂辿説」も考え出されましたが、あまり広まりませんでした。このような折衷・調和(「神仏習合-しんぶつしゅうごう-」という)が行なわれて、日本では明治維新の時代まで仏さまと神さまが同居していた、というわけです。なお、もともとその地を守護していた神さまは「鎮守(ちんじゅ)」とよばれ、延暦寺の山王権現(さんおうごんげん)、興福寺の春日明神(かすがみょうじん)、金剛峯寺の丹生明神(にうみょうじん)などが有名です。

「仏教の伝播」

インドで生まれた仏教は、ガンダーラやパミール高原を通って西域に伝わり、中国、朝鮮、日本へ伝わった(北伝ルート)。一方、南下した仏教は、セイロン(スリランカ)やパガン(ミャンマー)、シャム(タイ)などに定着(南伝ルート)。カンボジアのアンコール遺跡やジャワ(インドネシア)のボロブドゥール寺院などは、アジアを代表する仏教遺跡として名高い。

— posted by 吉金 at 11:55 am